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第5話 コイツは“無価値”なんかじゃない

last update Tanggal publikasi: 2026-07-02 18:26:56

 ガザルム坑道の中は、外とはまるで空気が違っていた。

 湿った冷気が肌へまとわりつき、ランタンの火が揺れるたび、岩壁に映る影まで蠢うごめいて見える。

 奥から響くのは、水滴の落ちる音だけだった。

 静かすぎる坑道は、まるで巨大な生き物の腹の中みたいで、妙に落ち着かなかった。

 帰還者ほぼゼロ。

 危険度B。

 改めて考えなくても、完全に来る場所を間違えている。

 少なくとも、商人見習いと元奴隷が気軽に入っていい場所じゃなかった。

「……現地調達って、何を調達したらいいんだよ」

 俺はぼやきながら、背負ったリュックを揺らした。

 坑道に入る直前、ヴェルカは酒瓶を片手にケラケラ笑いながらこう言ったのだ。

『足りないものは現地調達しな』

 雑すぎる。

 武器も作戦もほぼ丸投げである。

 頼みの綱のリュックも、中身はロープ、鍋、フライパン、工具、折りたたみシャベル、干し肉、果物ナイフ。

 あと何故か魚の干物まで入っている。

 本当にこの人、俺たちを生かして帰す気あるんだろうか。

 そんなことを考えていると、不意に隣でミリスがしゃがみ込んだ。

「?」

 何をしているのかと思えば、地面に落ちていた石を拾っている。

 しかも一個ではない。形を見比べながら、真面目な顔でいくつも集め始めた。

「……ミリス?」

「使えるかもしれない」

 そう言って、石をリュックへ入れる。

 《ただの石:0G》

 綺麗なくらい価値ゼロだった。

「いや……石集めてどうするんだ?」

「投げる」

 あまりにも真顔で返されて、一瞬ツッコミに困る。

「……役に立ちたい」

 ミリスは石を握ったまま、小さく呟いた。

「クラドの」

「…………」

 本人に変な気は一切ないのが余計に困る。

 無表情で、ただ当然みたいにそう言うのだ。

 以前のミリスなら、命令されない限り自分から動こうとはしなかった。

 けれど今は違う。何か役立てるものはないか、自分で考えて探している。

 その方向性が若干ズレてる気もするけど。

「……まあ、持つだけなら好きにしろ」

「うん」

 ミリスはほんの少しだけ嬉しそうに頷くと、また石を選び始めた。

 地味に丸いものや握りやすそうな形を選別している辺り、本人的にはかなり真剣らしい。

 だが、その時だった。

 ――カサッ。

 微かな物音。

 俺は反射的にランタンを向けた。

 暗闇の奥。岩陰の向こうで、赤い光がぬらりと揺れる。

 一つじゃない。

 二つ、三つ――複数。

「……ミリス」

「うん」

 空気が張り詰める。

 次の瞬間、ギャギャッ! という耳障りな奇声と共に、小柄な影が暗闇から飛び出してきた。

 灰色の皮膚。異様に長い腕。口元には獣みたいな牙。

 《坑道ゴブ:32G》

「うわっ⁉」

 一匹だけじゃない。次々と飛び出してくる。四匹だ。

 しかも速い。

「来る!」

 ミリスの声と同時に、一匹が真正面から飛び掛かってきた。

 咄嗟にリュックを前へ出す。鈍い衝撃が腕に走った。

「ってぇ⁉」

 後ろへよろける。普通に重い。普通に怖い。

 というか、やっぱり武器が足りない!

「ナイフ一本でどうしろってんだ、あの酒カス‼」

 叫びながら果物ナイフを抜くが、リーチが短すぎる。この距離で殴り合うのは危険だ。

 再びゴブが飛び掛かってくる。

 その瞬間、脳裏にヴェルカの言葉が蘇った。

『商人ってのはねえ、商品を見るんじゃあない。“価値”を見るんだよ』

「……価値」

 視線が、リュックへ落ちる。

 使える物じゃない。

 ――“使える価値を与えられる物”。

 俺は咄嗟に、リュックからフライパンを引き抜いた。

 《鉄製フライパン:45G》

 価値操作。

 頭の奥が熱くなる。

 《鉄製フライパン:45G → 簡易鋼盾:310G》

 瞬間、フライパンが淡く光った。

 直後――ガギィン‼ と硬質な音が響き、飛び掛かったゴブが弾き返される。

「止めた……⁉」

 ただの調理器具だったはずのフライパンが、盾みたいに衝撃を受け止めていた。

 ミリスが目を丸くする。

「……硬い」

「いける……!」

 なら――!

「ミリス! その石を投げろ‼」

「うん!」

 ミリスが全力で石を投げる。

 ビシャッ‼ と妙に重い音が響いた。

 《ただの石:0G → 投擲礫石:40G》

 直撃したゴブが、そのまま後ろへ吹っ飛ぶ。

「はぁ⁉」

 俺もミリスも同時に目を見開いた。

 今の石、威力おかしくなかったか?

 吹き飛ばされたゴブが、岩壁へ叩き付けられて悲鳴を上げる。

 ミリスは自分の手を見下ろし、それから石が消えた先を見て、小さく瞬きをした。

「……飛んだ」

「いや、今の何だよ⁉」

 岩壁へ叩き付けられたゴブが、そのまま動かなくなる。

 あんな威力、ただの投石じゃあり得ない。

 だが考えてる暇はない。別のゴブが横から飛び掛かってくる。

 俺は咄嗟にフライパンを叩き付けた。

 ガンッ‼ と鈍い音。

 ゴブが床へ転がる。

 《鉄製フライパン:簡易鋼盾 耐久低下》

「うっ……!」

 頭の奥に、妙な感覚が流れ込む。

 価値を変えた物の状態が、何となく分かる。

 なら――。

「ミリス! もっと石を!」

「うん」

 ミリスが即座に石を差し出してくる。

 しかもさっきより選別が進んでいた。

 丸い石。尖った石。平たい石。

 本人なりに“用途”を考えているらしい。

 こんな状況なのに、少しだけ笑いそうになった。

「よし……!」

 飛び掛かってくるゴブを睨みながら、俺は石に意識を集中させる。

 《ただの石:0G》

 価値を与える。

 もっと危険に。もっと脅威に。

 《ただの石:0G → 爆裂鉱石:180G》

 石の表面に赤い亀裂のような光が走った。

「ミリス! 投げろ!」

「うん」

 放られた石がゴブの足元へ転がる。

 直後。

 ――ドゴォン‼

 爆炎が坑道を揺らした。

「ギャアアッ⁉」

 二匹まとめて吹き飛ぶ。熱風が顔を叩いた。

「うわっ、マジで爆発した⁉」

「……すごい」

 ミリスが少しだけ目を輝かせていた。

 その顔を見た瞬間、妙な確信が湧く。

 いける。

 “価値”さえ作れれば戦える。

 ゴブたちが警戒したように距離を取る。

 その隙に、ミリスがまた石を拾って差し出してきた。

「次」

「サンキュ!」

 俺は半ば反射で石を掴む。

 今度は別のイメージ。

 眩しさ。閃き。目潰し。

 《ただの石:0G → 閃光鉱:95G》

 白い光が石の内部で明滅する。

「投げろ!」

 石が宙を舞う。

 次の瞬間。

 バシュゥッ‼

 坑道を白光が埋め尽くした。

「ギャッ⁉」

 ゴブたちが一斉に目を押さえて暴れ回る。

「今だ!」

 俺は駆け出し、フライパンを横殴りに振るった。

 ゴッ‼ と鈍い感触。

 さらにミリスの投石が飛ぶ。

 ドガッ‼

 さっきまでの“ただの石投げ”じゃない。

 価値を与えられた瞬間、完全に武器へ変わった。

 ゴブの一匹が悲鳴を上げながら逃げ出そうとする。

 その背中へ、俺は最後の石を構える。

「これで――!」

 今度は熱。火種。着火。

 《ただの石:0G → 火打ち魔石:60G》

 石が壁に激突した瞬間、内部で圧縮されていた火打ち鉱が弾け、激しい火花を撒き散らす。

 近くに零れていたランタン油へ引火する。

 ボワッ‼ と炎が広がり、逃げかけたゴブが火だるまになった。

「ギィィィッ⁉」

 悲鳴を上げながら転げ回り、そのまま動かなくなる。

 静寂。

 焦げ臭い煙だけが坑道へ漂った。

「…………」

 俺は肩で息をしながら、自分の手を見る。

 ただの石だった。

 そこら辺に落ちてる、価値ゼロの石。なのに。

「……戦えた」

 呆然と呟く。

 すると隣で、ミリスが小さく頷いた。

「クラド、すごい」

「いや、ミリスの石集めも大概だろ……」

「役に立った?」

 不安そうに聞かれて、一瞬言葉に詰まる。

 それから、俺は笑った。

「ああ。めちゃくちゃ助かった」

 ミリスは少しだけ目を丸くした。

 それから、口元がほんの僅かに緩む。

 その表情を見た瞬間、胸の奥が妙にざわつく。

 たった一言褒められただけで、そんな顔をするのか。

 ……ほんと、今までどんな扱いを受けてきたんだ。

 だが感傷に浸っている余裕はない。

 坑道の奥からは、相変わらず不気味な風音が響いていた。

「……行くか」

「うん」

 俺たちは再び、暗い坑道の奥へ足を踏み入れた。

 ***

 そこから先は、半分くらい勢いだった。

 道中でも何度か魔物に遭遇した。

 天井から飛び掛かってくる《坑道ゴブ》、岩陰に擬態していた《鉱喰いこうぐいムカデ》、暗闇の中で羽音だけ響かせる《盲目蝙蝠ブラインド・バット》。

 正直、一歩間違えれば普通に死んでいたと思う。

 けれど、その度に俺たちは“価値”を作った。

 石ころは投げれば弾丸になり、工具は罠になった。

 ロープは拘束具へ変わり、鍋は即席の防具になる。

 フライパンに至っては、もはや完全に盾だった。

 最初は手探りだった戦い方も、少しずつ形になり始めていた。

「右」

 ミリスの短い声が飛ぶ。

 反射的に身を屈めた直後、頭上を鉱喰いこうぐいムカデの脚が掠めた。

 そこへミリスの投石が直撃し、魔物が岩壁に叩き付けられる。

 以前の彼女なら、こんな風に自分から動けなかっただろう。

 だが今は違う。周囲を見て、必要な物を探し、自分で考えて動いている。

 その変化が、何だか少し嬉しかった。

「……というか、なんでそんなに石拾うの慣れてるんだよ」

「いっぱい落ちてるから」

「理由になってないんだよなぁ……」

 リュックの中は、いつの間にか石だらけになっていた。

 けれど、その石に何度助けられたか分からない。

 気付けば俺自身も、“価値のない物”を見る目が少し変わり始めていた。

 そして、どれくらい歩いただろうか。

 狭かった坑道が、不意に大きく開ける。

「……うわ」

 思わず声が漏れた。

 巨大な空洞だった。天井は遥か高く、岩壁一面に青白い鉱石が結晶のように突き出している。

 暗闇のはずなのに、洞窟そのものが淡く発光していた。

 まるで夜空の中へ迷い込んだようだった。

「……綺麗」

 隣でミリスが小さく呟く。

 その中心に、一際強く輝く鉱石があった。

 雫みたいな形をした、透き通る蒼。

 視界に文字が浮かぶ。

 《星涙石せいるいせき:価値測定不能》

「――これか」

 喉が鳴った。

 素人目でも分かる。ただの宝石じゃない。

 街一つ買えるというヴェルカの言葉が、冗談に思えなくなるほどの存在感だった。

「やっば……」

 吸い寄せられるように近づく。こんなもの、本当に存在したのか。

「思ったより簡単だったな……」

 気が緩んだのは、その時だった。

「……クラド」

 ミリスの声に、思わず振り返る。

 だが、ミリスは俺を見ていなかった。

 その視線は、俺の後ろに向いている。

 顔色が変わっていた。感情の薄い彼女が、はっきりと怯えていた。

「……いる」

 その一言で、背筋が粟立った。

 気付けば、水滴の音が消えている。

 さっきまで感じていた洞窟の気配そのものが、どこか遠ざかっていた。

 静かすぎた。

 まるで巨大な何かが息を潜め、こちらを見下ろしているような静寂だった。

 嫌な汗が首筋を伝う。

 恐る恐る、振り返る。

 最初、それが何なのか分からなかった。

 壁だと思った。黒い岩盤が、洞窟の奥にそびえているのだと。

 だが違う。

 それは、ゆっくりと動いていた。

 ゴリ――――ッ。

 鈍い音が響く。

 巨大な顎が、岩壁を噛み砕いていた。

 岩が豆腐みたいに砕け散り、火花を散らしながら崩れ落ちる。

 暗闇の中で、赤熱した鉄みたいな光がゆっくり揺れた。

 目だった。

 あまりにも巨大すぎて、距離感が狂う。

 馬車より大きい頭部。岩盤みたいな黒鉄くろがね色の外殻。

 全身を覆う無数の傷。

 そして、鉄臭い熱風みたいな息。

 《――価値測……》

 表示が途中で乱れた。

 バチッ、と視界の文字が火花みたいに明滅する。

 こんなの、初めてだった。

 ――『グラン・モルド』。

 黒鉄くろがね喰らい。

 帰還者ほぼゼロ。

 その意味を、俺はようやく理解した。

 グラン・モルドが、ゆっくりこちらへ顔を向けた。

 赤熱したような眼光が、暗闇の奥で鈍く揺れる。

 その瞬間、全身の毛穴が一斉に開いた。

「――逃げるぞ、ミリス!」

「うん!」

 反射的に叫び、星涙石を掴んで駆け出す。

 だが背後で、ギギギギ……と金属を擦るような異音が響いた。

 振り返る。

 グラン・モルドが、岩壁に巨大な爪を突き立てていた。

 次の瞬間、轟音と共に天井の岩塊が崩れ落ちる。

「っ⁉」

 退路を塞がれた。

 土煙が舞い、坑道が揺れる。

 逃がさない。

 そう言われた気がした。

「ウソだろ……」

 喉が引きつる。

 その時、不意にヴェルカの軽薄な声が脳裏によみがえった。

『まあ、バレた時は頑張って倒すしかないね』

「……冗談じゃなかったのかよ、あの酒カス……!」

 思わず悪態が漏れる。

 だが、泣き言を言っても状況は変わらない。

 グラン・モルドが低く唸るたび、坑道全体が震えていた。

 まともに戦えば死ぬ。

 それでも、戦わなきゃ終わる。

 俺は荒い息を吐きながら、背中のリュックへ手を突っ込んだ。

 ロープ。鍋。フライパン。工具。干物。シャベル。果物ナイフ。

 改めて見ても、酷い荷物だ。

 けれど。

「……やるしかない」

 ヴェルカは言っていた。

 商品を見るな。価値を見ろ、と。

 なら――このガラクタ全部に、使い道があるはずだ。

 隣でミリスが、小さく石を握り締める。

「クラド」

「ああ」

 俺は震える手でフライパンを構えた。

 目の前では、黒鉄くろがね喰らいがゆっくり口を開いている。

 まるで、獲物を味わうみたいに。

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